僕らがなすべきことは? | 車椅子の製作・木の車椅子なら旅する木

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僕らがなすべきことは?

「どうですか?これ。」

「品があって、格式高い?」

「そうでしょう。そうでしょう。」

「美しすぎて見惚れてしまう?」

「そうでしょう。そうでしょう。」

「やっぱり狩野派ですか?」

「か、狩野派?」

「その襖絵」

「襖絵か〜い!」

 

先日、福島県南相馬市のお客様のところに木の車椅子を納品に行ってきました。
打ち合わせは電話だったので、実際にお会いするのは初めて。
もちろん、どんな家かなんて知る由もなく。

仙台空港からレンタカーを借りて、ナビに住所を入れて1時間ちょっと。
到着した家の前で、ちょっとビックリ。
門の向こうに大きな屋敷が建っていまして。
北海道にはない瓦屋根の、立派な立派な日本家屋のお屋敷。

あまりに立派すぎて、恐れ多いというか、ドキドキ、キョロキョロしながら、忍足で入っていきました。
立派なお屋敷に、忍足でコソコソ入るって、それこそ誰かに見られていたら、いかにも怪しいですよね(笑)。。

初めてお会いするTさんは、優しい方で、ほっとしました。

最後の微調整を終えて、黒松の絵が描かれた襖の前に車椅子を置くと、見慣れた車椅子のはずなのに、しばらく動けなくなってしまいました。

作ったものが、自分の能力を超えている。

 

不思議なことに、自分で何かを成し遂げよう!
なんて気負っていた頃は、大抵のことがうまくいかないか、もしくはそこそこの成果しか得られないもので。

僕らがなすべきことは、何かをすることでも、何かを成し遂げることでもなく、ただ、心を整えること。

”心を整える”
なんていうと、堅苦しいですね。

”気分良くいること”
に置き換えてもいい。

 

「なぜ車椅子を作るのか?」
よく聞かれる質問。

思考を巡らせばいろんな理由があって、それらしい返答をしているのですが、本当のところは、ただ、

楽しいから。
充実感を感じられるから。
ワクワクするから。
気分良くいられるから。

 

この世界は自分の心の中にあるものが現象として現れるんだそう。

「そうか。だからこの車椅子は、僕の能力を超えているんだ。」
襖絵の前にある車椅子を見ながら、妙に納得しました。

 

木の車椅子の構想を実現すべく、試作を開始したのが2009年なので、かれこれ13年、試作をやり続けてきて、やっと納得できる域まで達し、今年から販売をはじめました。

そのころのブログを読み返すと、
”世に生を得るは事を成すにあり”
とか、
”自分に負けない強い意志を持って臨む”

なんていう言葉が節々に出てきます。
随分気負って生きていたんだなあ。と、当時の自分をちょっと可愛く思う。

そして、
「この車椅子が僕をどこに連れて行ってくれるんだろう?」
なんて言葉で結んでいるブログを発見。

そんな昔の自分に伝えてあげたい。
「福島に連れてきてくれたよ。」
って、そういう物理的な距離じゃないって?(笑)

 

”成し遂げる”
なんて気負っていた時は、どこか苦しくて、結局自分を超えることはできなかった。
いつの間にかそんな気負いがなくなって、
毎朝の犬の散歩で行く近所の神社のお参りの時、
「なにもかもお任せします。あなたのしたいこと、表現したいことに、僕を使ってください。」
なんてお願いする気持ちになった頃から、
「これ、本当に俺が作ったのかな?すげ〜なぁ。」
なんて思うような、完成したものが、明らかに自分の能力を超えた気がします。

 

”僕らがなすべきことは、何かをすることでも、何かを成し遂げることでもなく、ただ、心を整えること”

 

昔の自分に伝えてあげたい。
「今君がやろうとしている車椅子が、僕をここに連れてきてくれたよ。ありがとう。」

 

そして今、折りたたみの木の車椅子に挑戦している。
いや、挑戦しているわけじゃない。
楽しい!と思うからやっている。

すると不思議なことに、こんな依頼が来た。
「右半分の体が動かないので、左手だけで操縦できる木の車椅子を作れませんか?」

左手だけで、左車輪も、右車輪も動かせる車椅子を木で作るなんて、そんなことできるの?めちゃくちゃ難しいそう。

僕は答えます。
「できるかどうかわかりませんが、挑戦はしてみます。」

でも、心の中で思っている。
「挑戦じゃないな。めちゃくちゃ楽しそう!」

そして

「折りたたみの木の車椅子、そして、片手運転の木の車椅子。
この車椅子が僕をどこに連れて行ってくれるんだろう?」っと。