目に見える世界と、目には見えない世界があるとしたら、
どうしても僕は後者に惹かれてしまう。
遅ればせながら、あけましておめでとうございます。
ここ何年も、僕は目標とか、計画とかいったものは持ちませんし、立てていないんですね。
どうせ僕の頭が考えた通りになんて、行きませんからね〜(笑)。
『人生とは、なにかを計画している時に起こってしまう、別の出来事のこと』(『旅をする木』星野道夫著)
自然の流れに任せて、しなきゃいけなくなったことをしていこうと思います。
そんな僕ですが、仕事以外では目標はあるんです。
折角地球に生まれたのだから、世界遺産を巡る旅をしたいなあ。というもの。
世界遺産って一体いくつあると思いますか?
実は1100個以上もあるんですって。
驚きですね。
果たしてこの人生で、何箇所の世界遺産を見えるんだろうなあ?
そんなことを思って、Amazonプライムで『世界遺産』を見ました。
たまたま見ていたのが、
エジプトの墓地遺跡ピラミッド地帯 についての番組。
人間の背丈より大きな石をこれほどたくさん、どうやってここに運んで、しかもどうやって積み上げたんでしょうね?
世界7不思議の一つだそう。
ピラミッド、スフィンクスなどもすごいのですが、今回初めて知って驚いたのですが、
エジプト文明で最も栄え、権力のあったラムセス2世が建造させた”アブ・シンベル神殿”について。
↑↑↑ アブ・シンベル神殿
砂岩でできた大きな岩石を掘って作った巨大な神殿です。
年に二度、太陽の光が神殿の内部、奥まで差し込み、中の4体の像のうちの3体を照らすように設計されているんですって。(光の刺さない一体は闇の神なので、わざと光が当たらないように設計)
これがすごいんじゃなくて(いえ、十分すごいんですけど)…
1960年にナイル川にダム建設が始まり、このアブ・シンベル宮殿は、水没の危機に晒されるんです。そこでこの神殿をそのまま移転させる計画が立ち上がります。
その方法が、なんと!
高さ33m 横38m 奥行き63mあり 正面の4体の巨像は高さ20mなんという大きな宮殿を、1000個以上のパーツに分割して、移動して、また寸分違わず組み立て直すというもの。
もちろん、分割した跡は残さないように組み立てて、接着する。
信じられなくないですか?
そんなことできるの?と驚き、すぐに移築過程の動画を探して見ました。
世界中から技術者が集まって、このプロジェクトが遂行されたのですが、凄かったですね〜。
しかもこれがなんと、50年も前のことなんですから。
移設する際に、光の奇跡についても再現しなければならないので、方角も綿密に計算して移築したそうで、わずかな誤差で、光が差し込む日にちが1日ずれてしまったそうですが、見事に再現されたそうです。
人間の知恵と技術、そしてなんとしても達成させるんだという意思には感服しました。
なんですけど…
驚愕し、感服しながらも、僕はなんか違和感というのか、僕の価値観とは異なるものを感じました。
僕が一生のうちに絶対に行って見てみたい世界遺産の一つが、
カナダのクイーンシャーロット諸島のアンソニー島。
無人島なので、カヤックでしか行けないんですね。
7000年ほど前から原住民のハイダ族が住んでおり、彼らは、家系に関わる紋章(それぞれの家族には、クマ、ワシ、クジラ、ワタリガラス、フクロウなど、自分の家系を象徴する動物がいる)や、所有する神話などを彫刻したトーテムポールの文化を築いたんですね。
19世紀末、白人が持ち込んだ天然痘で、この辺一帯の原住民は激減、住民の7割が死に、残った住人も他の場所に移動していきました。
アンソニー島は廃墟となりました。
自然による風化で、木のトーテムポールは朽ち果てていきます。
20世紀に入って、トーテムポールを世界中の博物館が、保存、展示しようと持ち去っていきます。
アンソニー島のトーテムポールも例外ではなく、博物館でハイダ族の暮らしや文化を含め、展示する計画が持ち上がります。
それに対し、残ったハイダ族の子孫が立ち上がります。
彼らは言います。
「その土地に深く関わった霊的なものを、無意味な場所に持っていって何の意味がある。私たちはいつの日かトーテムポールが朽ち果て、そこに森が押し寄せてきて、すべてのものが自然の中に消えてしまっていいと思っている。そうしてここはいつまでも聖なる場所になるのだ。
私たちはそれを望んでいる。」
彼らはトーテムポールを、自然に朽ちるにまかせ、その地に返すものと考えていたんですね。
それでアンソニー島には、後数十年もしたら森にのみ込まれるであろう朽ち果てた33本のトーテムポールが残っているんですね。
僕はそれを現地で見てみたいと思っています。
その風景の中で、なにを感じるんだろう?
エジプトのピラミッドや、その周辺の多くの遺跡は、当時の支配者が、自分の権力の象徴、または、死後の自分を守るもの、そしていつの日か、現世に蘇って再生することを目的として築かれたもの。
なので、その豪華絢爛ぶりを未来永劫、残したいという意思が感じられます。
その意思を引き継いで、子孫である人たちは、なんとしてもそれを残そうとする。
一枚の岩で出来た像や、壁画、建築物を切り刻んでも。
石の文化圏で生活してきた民族の思想と、木の文化圏で生きてきた民族の思想の違いはあると思います。
トーテムポールに刻まれた神話は、厳しい自然の中で非力な人間が生きるために、本能的に作り上げた知恵だったのかも知れない。
そしてそれは、科学やテクノロジーの力で自然や動物を支配し、地球の支配者になったつもりの僕たちが、忘れ去ってしまった力なんだろう。
「すべてのものが自然の中に消えてしまっていいと思っている。そうしてここはいつまでも聖なる場所になるのだ。私たちはそれを望んでいる。」
ハイダ族の子孫の言葉は、今に生きる僕たちに問いかけている。
エジプトの墓地遺跡群と、カナダアンソニー島の原住民の集落跡。
同じ世界遺産でも、思想は対極にあるような気がします。
永久に形を残そうとするもの。
形にならないものに価値を持つもの。
やっぱり僕は後者に惹かれてしまう。
いつか、会いに行こう。
カヤックに乗って。